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東京高等裁判所 昭和58年(う)904号 判決

控訴人 弁護人

被告人 師橋一二三

弁護人 杉野修平

検察官 窪田四郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人杉野修平作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官窪田四郎作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意一項及び二項(法令適用の誤りの主張)について

所論は、原判決が、道路交通法(以下道交法と言う。)一一六条に言う「損壊」に「焼燬」を含むと解し、被告人運転の車両の突入による建造物の焼燬につき、被告人に同条違反の刑責を認めたのは、同法条の解釈を誤つたものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、と言うのである。

そこで、記録を調査して検討すると、原判決は、「罪となるべき事実」として、被告人は、原判示の日時、場所において、普通乗用自動車(以下被告人車両と言う。)を運転し、前車を追い越して左側車線に進路を変更するにあたり、適宜速度を調節し、的確にハンドル操作をなすべき業務上の注意義務があるのに、時速約五〇キロメートルのまま左方に急転把した過失により、被告人車両を左側歩道に乗り上げさせて暴走させ、小林豊方木造トタン葺平家建住宅(佐藤正夫所有)に突入させて停車したが、その際、同家西側外壁に設置されていたプロパンガスボンベを押し倒し、同ボンベに取り付けられていたガス調整器を折損してプロパンガスを同家屋内に放出させ、一方、衝突時の衝撃により、被告人車両のエンジンルーム内にある電気配線とその車体貫通部の鉄板との短絡により、同配線の被覆等に着火させたうえ、右放出したプロパンガスに引火させて同家屋の壁板などに燃えつかせ、よつて同家屋を全焼させたほか、隣接の高田たけ所有の木造一部二階建住宅に延焼させて、そのベニヤ板壁及び天井板の各一部を焼失させ、同じく堀池栄次郎所有の木造一部二階建住宅の外壁部の一部を燻焼させた旨認定したうえ、同事実に道交法一一六条を適用していることが認められる。

所論は、同条の「損壊」には建造物を焼燬した場合を含まないと解すべきである、すなわち、〈1〉刑法典において、損壊は建造物損壊罪等として、第二編第四〇章毀棄及び隠匿の罪の中に、焼燬は現住建造物放火罪等として、同第九章放火及び失火の罪の中にそれぞれ区別して規定されているのであるから、右規定の仕方から見ると、損壊には焼燬を含まないことが明らかであり、従つて、刑法に対して特別法規の性質をもつ道交法一一六条に言う「損壊」も、同様焼燬を含まないと解すべきである、〈2〉もし、道交法一一六条の損壊に焼燬を含むとすると、同条は失火罪(刑法一一六条)あるいは業務上失火罪(同法一一七条の二)と刑の権衡を失することになるが、立法上右失火罪等との調整に配慮した形跡のない以上、道交法一一六条には建造物を焼燬した場合を含まないと解するのが相当である、と主張する。

しかしながら、右〈1〉の「損壊」の概念について言えば、本来、損壊とは物の効用を害する一切の行為を言うのであるから、物理的滅失を含むことは勿論であり、従つて、その一態様である焼燬の場合を含むこともまた明らかである。道交法一一六条が損壊の態様について何ら制限せず、同法中に他に特段の規定が設けられていない以上、同条に言う「損壊」について、右と別異の解釈をとるべき理由は見出し難い。刑法上、現住建造物放火罪等において焼燬を、建造物損壊罪等における損壊とは別個に区別して規定しているのは、行為類型としての焼燬を損壊一般の中から抽出した結果ではなく、まず放火及び失火の罪における保護法益、換言すれば、公共に及ぼす危険性に着目したからに他ならない。このことは、たとえば刑法一一〇条一項に当たる物を焼燬したが、公共の危険を生じなかつた場合においては、同法二六一条所定の器物損壊罪が成立するものと解すべきことからも明らかである。道交法一一六条は、車両による損壊という特異性に着目して規定されたに過ぎず、損壊それ自体の概念を所論のように限定して解釈すべきいわれはないと言うべきである。

また、右〈2〉の刑の権衡の点について考えると、道交法一一六条は、主として自動車による人家への飛び込み事故に対処すべく設けられたものと解されるところ、自動車は、建造物との衝突により、物理的破壊をもたらすのみならず、ガソリン等を燃料とする内燃機関や種々の電気設備を有することから、これに火災を発生させる危険度の高いものである。従つて、自動車運転者は運転方法について種々の規制を受け、安全な運行を要求されるのであつて、それにもかかわらず、自らの不注意な運転により自車を建造物に衝突させ、その結果同建造物を焼燬し、損壊するに至つた場合には、何ら格別の規制を受ける立場にない一般人が過失により建造物を焼燬した場合と比較して、より重い刑責を問われるのは、むしろ当然の事理と言うべきである。してみれば、道交法一一六条が、刑法上の失火罪の刑罰(罰金等臨時措置法三条一項一号により二〇万円以下の罰金。)に比較して、より重い六月以下の禁錮又は五万円以下の罰金を定めているからといつて、刑の権衡を失しているとは言えない。また、刑法上の業務上失火罪が道交法一一六条の刑罰よりさらに重い刑(三年以下の禁錮又は罰金等臨時措置法三条一項一号により六〇万円以下の罰金。)を定めているのは、右業務上失火罪の主体が、職務上極めて引火性の高い危険物を取り扱う者とか、火気の使用を直接職務の内容とする者など、火災発生防止の義務を有する者であることに照らせば、何ら異とするに足りず、両者の刑の権衡に問題があるとも言えない。

以上の次第であるから、結局、所論は独自の見解に立脚するものとして採用することができず、論旨は理由がない。

控訴趣意三項(事実誤認の主張)について

所論は、本件火災の発生を予見する可能性及びその発生を未然に防止する可能性を認めることができないのに、被告人についてこれが認められるとした原判決には、明らかに判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある、と言うのである。

しかしながら、関係証拠によれば、被告人車両の進行していた道路は、中央分離帯を有する片側二車線の国道一号線であり、進行方向右側は、対向車線及び歩道を隔てて高架式の国鉄東海道本線が走つており、同左側は歩道を隔てて人家の密集する市街地である。従つて、被告人車両が自己の進路を右側車線から左側車線に変更する際、時速約五〇キロメートルのまま左へ急転把すれば、ハンドル操作の自由を失つて暴走し、右人家に衡突することのあり得べきことは、自動車運転者として十分予見し得るところと言わなければならない。しかも、前示のような自動車の構造からすれば、人家との衝突により、自動車自体からの発火の可能性もまた同様に予見し得るところであり、さらに、人家は電気、ガスなど衝撃により発火ないし引火しやすい設備を有しているのが一般であるから、右衝突の衝撃によりガスなどが発火ないし引火して建造物を焼燬する場合のあり得ることは、通常容易に予見できることであり、特別の知識、経験を必要とする事柄ではない。なお、衝突による火災の発生を未然に防止するには、高速度のまま急転把して自車の暴走を招くような、無謀な運転方法を慎しみ、法規を遵守し、安全運転をするよう必掛ければ足りるのであつて、特段の防止策を必要とするものではない。

所論は、本件のように被告人車両のエンジンルーム内の電気配線とその車体貫通部の鉄板との短絡により、同配線の被覆等が着火し、その火が損傷したボンベから放出されたプロパンガスに引火するなどということは、予見可能性の限界を超えていると言うが、過失犯の場合には、原則として、右に説示したとおり、結果発生及び因果関係の基本的な部分に関する予見可能性の有無を問題とすれば足りるのであつて、因果の過程の詳細についてまで予見し得ることは必要ではないのであるから、被告人が右のようなプロパンガスに引火する過程について予見し得なかつたとしても、その刑責が左右されるものではない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 草場良八 裁判官 半谷恭一 裁判官 須藤繁)

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